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コラム

「ララ物資」をご存じですか?

先日、以前に勤務していた「社会福祉法人」の50周年記念会にお招きをいただき、参加いたしました。私は50年の約半分に当たる26年間在職しました。他のご参加の皆様は、社会福祉で多くの実績を残されている高名な方ばかりで「本当にホント」に末席を汚す思いでの参加でした。目的は久しぶりに会う元同僚等との会話でしたが法人元理事の「阿部志郎」さんの記念講演も目的の一つでした。

「阿部志郎さんは戦後復興期から社会福祉活動を指導され「明治学院大学」学長などを歴任された方です。いまだ現役で「横須賀基督教社会館」会長を務めています。82歳とは思えない淀みのないしっかりとした通る声で社会福祉哲学を語られていました。その理念は的確で凡人からすれば唯々感銘を受けるのみですが「障害者自立支援法」等の導入後の「現場」との「乖離」の実態をどう修復していけば良いのか個人的には「課題」が残りました。

ここで表題の「ララ物資」について。シンプルに言うと戦争に勝ったアメリカが負けた日本にアメリカ本土住民が中心となって「匿名」で食料、衣料など援助した活動の総称です。幾つかの頭文字をつなげて「ララ」、そして「ララ物資」と呼ばれ一部では「ケア物資」とも言われるようです。この「ララ物資」の国内受け入れ民間団体の一部が 後の「社会福祉法人」となります。

阿部志郎さんは日米のつなぎ役として「ララ物資」に関わり戦後復興期の家庭や学校生活の支援に当たられていました。

当時の福祉活動は「慈善」と呼ばれ富裕層からの援助と考えられますが、実際には高校生などの多くが週1回昼食を抜いてその費用を「ララ」として日本を援助した伝えられています。特筆すべき点は「ララ物資」の一切が闇ルートに流れていないことです。現在も多くの戦争地帯、難民キャンプ等に援助物資が送られている中で例外なく「搾取」や「略奪」が行われています。唯一「ララ物資」だけは「無い」と当時の関係者は驚異的と異口同音に語られているとのことです。

年代的には私が生まれる前後の出来事ですから記録として確認するしか術がありません。集約した報告は旧厚生省、全国社会福祉協議会等がまとめていますが各地域単位では十分な掘り起こし作業が行われていない様です。

戦争に勝った国が負けた国をその直後にそれも民間人が集約的に援助する=はたして日本人が逆の立場でどの様な行動が取れるのでしょうか。アメリカ人の多面性を感じ取れる一つの出来事です。

(T・K)

 

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